子どもは神がその愛をもっていのちを与え、親に授けられた存在です。親は大いなる愛をもってその子を受け止めましょう。どんなに小さくてもひとりの人間として認める、自分の願うとおりにならなくても、神から委ねられたいのちを受け入れるのです。 親は神から任された幼い命が成長するよう養育にあたる第一の人間です。そうした親の責任はその子の生命に潜んでいる力と可能性をあくまでも信じることです。
幼稚園は、子どもの一人一人のいのちの重さ、可能性の大きさを受け止める教育を、提供するよう努めます。子どもは資質、能力、性質など、一人一人みんな違うということを考えて、それぞれがその力を十分発揮できるよう、適切な環境を整えることが大切です。子どもが秘めた力と可能性を伸ばすために、親に次いで教師の役割は重要です。ですから、常に研鑽や研修に励み、子どもと一緒に成長していかねばなりません。 また幼稚園における保育活動は、親との緊密関係の中で、喜ばしい教育の成果をあげ得ることは言うまでもありません。
現代の教育は知識偏重に傾き、機械的に覚えさせることを中心にしています。子どもは、感情、身体、理性、意志など、すべてがともに成長し調和して人間として成熟するのです。私たちの幼稚園では、こうした要素のすべてが順調に育つよう手助けします。 いいかえれば、感受性、創造力、判断力、強い意志、そして自分がこれは善いと思うことを実行し、悪いと考えればそれをしりぞける精神力と強さを備えた人間に育つような教育を目指しています。
親も幼稚園も保育活動、幼児教育に真剣に取り組みます。その意欲と情熱が空回りに終わらないよう次のことを心がけましょう。子どもたちが自分自身で感じ、考え、選び、行動するといった、自立へ向けた教育を目指していなければなりません。子どもの動きに先がけて手を出さぬよう、口をつつしむよう心しましょう。 私たちは子どもの一歩うしろから見守り、子どもたちがいろいろ探りながら動き出すのを見守りましょう。信じて待つということは教育の大切な要素ですから。 大人の側からの干渉がすぎると、子どもは自分で積み上げていくという貴重な体験の一部を摘み取られてしまいます。 ゆっくり、ゆきつ戻りつしながらでも、自分で気付き、自分で試し、自分で見つけていくことが、まさに成長に不可欠な要素ではないでしょうか。
幼稚園も学校もさまざまな領域の技術を身につける場です。さらには、思いやりをもって喜びも悲しみも共感でき、人の助けになるために自分から、他者のために尽くす心を育てていく場でもあります。 また、どこの国のどんな人であっても、みんな兄弟姉妹であると受け取り、差別や偏見の無い、目を世界に向ける教育も考えています。そこから真の国際性が育ち、神の子である人間が、平和のうちに仲良く生きることが実感できるのではないでしょうか。 人類家族は、お互いの助け合いで成り立つ家族だということを、この幼稚園から身につけてほしいと思います。
一人一人の子どもは、それぞれに固有の素晴らしい能力に恵まれています。他の子どもと比較することなく、その子のもっている資質、能力、良いところに気付かせ、その力を十分発揮できるよう、一人一人を尊重したいと思います。
どんなに優れた教育者や親であっても、子どもを養育する崇高な使命の前には、時には力不足を感じざるを得ません。一生懸命尽くしても、それでよい実りを手にできるとは限らないからです。 しかし、理念に添った手助けを根気づよく提供することは、必ずいつか実ると確信します。 子どもたちの生命の力は偉大であり、それを与えて下さった神が、絶えず子どもたちを見守り続け、支えておられることを信じています。