教育理念

教育の出発点

教育の出発点
人間と人間をとりまく世界は、偶然の出来事や運命のいたずらによってできたものではありません。神の慈しみと計画によって、いのちと存在を与えられています。人間をはじめ世界と宇宙に存在する全てのものの中で、神は生き、働いておられます。

神はとりわけ人間のいのちに、多くの可能性と不思議な力、尊厳を授けてくださいました。幼い子どものひとりでさえ、神と相対するゆるぎない人格であり、ひとりの人間として尊ばれなくてはなりません。
「人類の救いとなる真の力は子どもにある」
マリア・モンテッソーリ

両親は教育の主体者

両親は教育の主体者
子どもは神がその愛をもっていのちを与え、親に授けられた存在です。親は大いなる愛をもってその子を受け止めましょう。どんなに小さくてもひとりの人間として認める、自分の願うとおりにならなくても、神から委ねられたいのちを受け入れるのです。

親は神から任された幼い命が成長するよう養育にあたる第一の人間です。そうした親の責任はその子の生命に潜んでいる力と可能性をあくまでも信じることです。
「人類の救いとなる真の力は子どもにある」
マリア・モンテッソーリ

幼稚園は親の協力者

幼稚園は親の協力者
幼稚園は、子どもの一人一人のいのちの重さ、可能性の大きさを受け止める教育を、提供するよう努めます。子どもは資質、能力、性質など、一人一人みんな違うということを考えて、それぞれがその力を十分発揮できるよう、適切な環境を整えることが大切です。
子どもが秘めた力と可能性を伸ばすために、親に次いで教師の役割は重要です。ですから、常に研鑽や研修に励み、子どもと一緒に成長していかねばなりません。

また幼稚園における保育活動は、親との緊密関係の中で、喜ばしい教育の成果をあげ得ることは言うまでもありません。
人は家族をつくり、家族は人をつくる
ドロシー・ロー・ノルト

総合的な教育

総合的な教育
現代の教育は知識偏重に傾き、機械的に覚えさせることを中心にしています。子どもは、感情、身体、理性、意志など、すべてがともに成長し調和して人間として成熟するのです。私たちの幼稚園では、こうした要素のすべてが順調に育つよう手助けします。

いいかえれば、感受性、創造力、判断力、強い意志、そして自分がこれは善いと思うことを実行し、悪いと考えればそれをしりぞける精神力と強さを備えた人間に育つような教育を目指しています。
私たち大人が示す手本
それが子どもの未来をつくる
ドロシー・ロー・ノルト

自立を目指す教育

自立を目指す教育
親も幼稚園も保育活動、幼児教育に真剣に取り組みます。その意欲と情熱が空回りに終わらないよう次のことを心がけましょう。子どもたちが自分自身で感じ、考え、選び、行動するといった、自立へ向けた教育を目指していなければなりません。子どもの動きに先がけて手を出さぬよう、口をつつしむよう心しましょう。

私たちは子どもの一歩うしろから見守り、子どもたちがいろいろ探りながら動き出すのを見守りましょう。信じて待つということは教育の大切な要素ですから。
大人の側からの干渉がすぎると、子どもは自分で積み上げていくという貴重な体験の一部を摘み取られてしまいます。
ゆっくり、ゆきつ戻りつしながらでも、自分で気付き、自分で試し、自分で見つけていくことが、まさに成長に不可欠な要素ではないでしょうか。
どんなことでもいいのです
毎日必ず子どもを誉めてあげてください
「大好きよ」と言ってあげてください
ドロシー・ロー・ノルト

献身できる人間

総合的な教育
幼稚園も学校もさまざまな領域の技術を身につける場です。さらには、思いやりをもって喜びも悲しみも共感でき、人の助けになるために自分の持てるところを分ち与える、他者のために尽くす心を育てていく場でもあります。

また、どこの国のどんな人であっても、みんな兄弟姉妹であると受け取り、差別や偏見の無い、目を世界に向ける教育も考えています。そこから真の国際性が育ち、神の子である人間が、平和のうちに仲良く生きることが実感できるはずです。
人類家族は、お互いの助け合いで成り立つ家族だということを、この幼稚園から身につけてほしいと思います。
「人類の救いとなる真の力は子どもにある」
マリア・モンテッソーリ

どのように目標に向かうか

手本を示す

親と教育者は、教育の技術的な点より、もっと単純に誰もが、実践できる次のことをしっかりわきまえておきましょう。
それは、何よりも子どもたちに手本を見せるという一点です。私たちの生き方、行い、言葉、毎日の生活ぶりは、子どもたちがどのような人間に育つかを決する大きな原動力だと確信しております。
不言実行が大切です。ことばも必要ですが、子どもたちにあれこれと求めることをまず自分自身に求めて実行すれば、自然にそれが子どもたちの力になっていくのです。親も教育者もすでに成長が終わったものではなく、子どもとともに自分を見つめ、あらゆる面をさらに伸ばしていかなければなりません。
総合的な教育

自分に打ち勝つ教育

総合的な教育
子どもは素晴らしい生命ですが、人間には、怠け、自分勝手、意地悪、欲望などさまざまな悪への傾きがつきものです。こうした弱さを支えてやらなければなりません。規律や教育の厳しさ、しつけ、叱正、忠告、助言をうまくからめていかねばなりません。保育には、鍛錬の要素は不可欠であり、自己を律する力を身につけさせることは大切な基本です。

自由の選択

人間形成の中で、自由を享受するということ、自由という能力を身につけることは極めて重要です。自分の好き勝手に振る舞い行動するといった自由ではありません。自分の感情、怒り、憎しみ、悲しみを覚えても、それに流されたり、呑みこまれたり、いつまでもこだわったりせず、それらから自由になることなのです。
子どもが自分のわがままを押さえながら自由である力を育てていかねばなりません。
さらに、幼稚園での共同生活において、子どもたちの言葉や行動に責任を持たせることが、自由を育てるにあたっての出発点です。普段の教育の中で子どもたちが責任のある選択ができるようになるのには、教師の練熟と十分な下準備を前提とした対応が日常の保育活動の総決算としての実りなのです。
総合的な教育

心の教育

総合的な教育
祈りや神の話、またイエス・キリストの教えたこと、その言動を示しながら、子どもたちの関心や視野を広げ、優しい人間になりたいと願う心、感謝する心、そして人の悩みや苦しみに気づく心を培います。宗教的情操(こころ)は現今、最も足りない要素です。

環境づくりへの配慮

教育場面を設定するにあたっては、できあがってしまったものを手にする喜びよりも、ヒントや知的な刺激を提供する環境作りから、自らの手で作り上げ生み出す感動を味わえるよう配慮します。
子どもたちが自由に関わり、自由に動ける適切な環境を常に心がけています。
総合的な教育

情緒豊かに

総合的な教育
年間の行事や季節季節のできごとを通して、子どもたちがさまざまな体験を重ね、楽しい思い出として残るよう計画します。
自然の神秘や人間の文化と歴史の偉大さや美しさに驚きを覚えさせることも、情緒面での成長の助けになります。

個性の尊重

一人一人の子どもは、それぞれに固有の素晴らしい能力に恵まれています。他の子どもと比較することなく、その子のもっている資質、能力、良いところに気付かせ、その力を十分発揮できるよう、一人一人を尊重したいと思います。
総合的な教育

無力をはね返す希望

総合的な教育
どんなに優れた教育者や親であっても、子どもを養育する崇高な使命の前には、時には力不足を感じざるを得ません。一生懸命尽くしても、それでよい実りを手にできるとは限らないからです。
しかし、理念に添った手助けを根気づよく提供することは、必ずいつか実ると確信します。

子どもたちの生命の力は偉大であり、それを与えて下さった神が、絶えず子どもたちを見守り続け、支えておられることを信じています。
人は家族をつくり、家族は人をつくる
ドロシー・ロー・ノルト